藤原啓治を悼む -ハッピーエンドばかりじゃない-

 私にとっての声優藤原啓治とは、いつまでも頑固で優しくて聡明な親父に命を吹き込む人だった。

 

 出会いは小学生の頃に観た『クレヨンしんちゃん』の野原ひろし。20年以上彼がこのキャラクターを司ってきた。これに勝るものは多分ない。こんな若僧が何言ってんだと思うが、『オトナ帝国の逆襲』は日本のとーちゃんの位置づけであった。誰しもが憧れを抱いた。

 

 次に出会ったのが『たまこまーけっと』で主人公の父親、北白川豆大を演じていた。私においては命よりも大切なアニメだった。この作品には家族がなくてはならないピースであるともに、大人という立場で、子供の巣立ちを見守る役目を担っていた。時に妻を想い、その淡い恋に恥ずかしさを抱いてしまうようなこそばゆい事も大事にとっておくような娘想いの父だった。軒先で向かいの餅屋と喧嘩するような光景は、もう二度と生まれない。

 

 所謂『ハガレン』を観たのは、社会人になってからだった。マース・ヒューズという男は一介の軍人であり、よき理解者であり、一人の父親だった。彼は家族を守るために戦争を戦った。たとえ味方が憐むべき邪悪であっても、彼は一つの家族を必死に守った。娘を溺愛していた彼は、自分が背けてしまった悪に立ち向かい、志を閉ざしてしまった。この作品で、私が最も憧れたキャラクターだった。

 

 2008年に劇場で出会ったトニー・スタークは天才で努力家、の割に女遊びをやめない男だった。11年経って、そんな彼にも守るべき家族が出来た。守るべきものを選ぶこと、そこに自らを計上しない運命があるとすれば、どうしようもなく寂しい。ハッピーエンドばかりじゃない。

 

 

 何事も、ハッピーエンドばかりじゃないのだ。いつまでもあってほしい物ほど無くなった時の存在感と喪失感は大きくなる。この国は一つの父親像を永久に失った。そして同時に指針となる父親像になった。

 助からない命だったかもしれない。そんな運命なら悲しいが受け止める。雨が降る前に、少しでも前を向くべきなのだと。

 

-Requiescat in pace.

彼への冥福を祈り、感謝と共に安らかに眠れ。